せららばあどの随想録

エンターテインメントを哲学する

ロシアW杯は日本サッカー史の走馬灯だった

歴史を塗り替えることはできなかった。

 

ワールドカップ8年周期説はまた更新され、

初出場の1998年から2018年まで、挫折と躍進を交互に繰り返している。

日本代表の活躍に誰もが驚いたが、私は同時に、思い出すことも多かった。

この大会はただの繰り返しではない。

日本サッカーの歴史の集大成であり、新しい歴史だ。

 

1998年に得た経験は、ピッチに立ったこと。

スター選手との真剣勝負に浮足立っていた。

点差以上に彼らとの差があった。

それでも中田英寿は世界に羽ばたいた。

 

2002年、一生に一度あるかどうかの自国開催。

初の勝ち点、勝利、グループリーグ進出。

サッカーに熱狂する国民がいた。

決して強くないトルコに負けて、共催の韓国は3位になった。

 

2006年、ゴールデンエイジにかつてない期待を抱いた。

初戦の逆転負けで、全てが狂った。

絶対的な存在の中田を怖れ、海外組と国内組に分裂があった。

ブラジル戦で「早く終わってくれ」と思うほどの地獄の時を過ごした。

 

2010年、期待の低さを裏切り、躍進した。

日本らしさを捨てて、現実的な守備戦術を選んだ。

前回大会の不協和の教訓から、チームの結束が強固になった。

疲労困憊のパラグアイ戦では、凡戦の末にPKで敗北した。

 

2014年、「世界を驚かす準備ができた」過去最高のチーム

「自分たちのサッカー」の徹底

完璧な準備と、失意の惨敗

 8年前の繰り返し。

 

そして2018年は、やはり8年前に似ていた。いや、それ以上に期待は薄かった。

2014年の悲劇から、日本サッカーはJリーグ開幕以降はじめて停滞した。

代表も、選手個々の成果も、4年前より状況は悪化していた。

 

しかし、今回の日本代表は、歴史を繰り返すのではなく、歴史から学んでいた。

最近の本田圭佑のじゃんけんの比喩を聞いて、4年前の悲劇の理由がやっとわかった気がする。

「自分たちのサッカー」にこだわりすぎて、相手を考えずに自分のスタイルを貫こうとした。

しかし、ワールドカップは国の威信をかけた真剣勝負であり、相手国分析の徹底ぶりも他の試合とは違う。PKキッカーの統計分析などがその好例だ。

4年前、日本のサッカーは試合前から長所も短所も筒抜けだった。

そして、短所を放置して勝てるほど、圧倒的な強さはなかった。

自分たちのサッカーを貫いて、どんな敵をも粉砕するには、組織だけでは限界がある。

 

2010年の自分らしさを捨てたスタイルと、2014年の自分らしさを貫いたスタイルという苦しい歴史が、今回の、徹底したスカウティングに基づく戦略と組織のサッカーを生んだ。これこそが「日本らしいサッカー」ではないだろうか。

 

・短期決戦、総力戦のW杯では、チームの亀裂は致命傷と知っていたから、チームの結束は硬かった。

・挫折を知る選手たちの、上を目指す意識がチーム内に浸透した。

・6回目の出場で、初戦の緊張感を知っているから、開始早々の相手の動きの悪さを突くことができた。

・スター選手に怯えないための実績も、点を取られても追いつけるタフな精神力も身につけていた。

ドーハの悲劇マイアミの奇跡があったから、不必要な危険をおかさないで試合を終わらせる冷静な判断力をもつことができた。

・2度のベスト16敗退の経験が、先を見越した戦略と選手のコンディション調整の重要性を教え、グループリーグ突破では満足できなハングリーさを与えてくれた。

 

こうして、日本サッカーの歴史の上に、2018年日本は躍進し、世界に賞賛された。

しかし、優勝候補チームの必死の猛攻に耐え抜くための経験がなかった。

フィジカルに屈するという根本的な課題も再発した。

まだまだ、日本サッカーは若く、経験不足だということだ。

結果としては悔しすぎる足踏みだが、日本人監督の下で、日本の歴史を感じさせるサッカーをしてくれた選手たちは、この国に喜びと希望をもたらしてくれた。

 

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