せららばあどの随想録

エンターテインメントを哲学する

「コントのブラックホール」ザ・ギース単独ライブレポート

ザ・ギース第15回単独ライブ「スプリングボンボン」

 

恵比寿エコー劇場

 

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コント師と呼ばれる人は多いけれど、ザ・ギースは少し違う。

彼らの特徴はコントに対するメタ認知の能力、

つまり「コントをすること」に対する俯瞰の視点を持っていることと、

さらにその視点が多様であること。

 

どういう経緯でそうなったのか詳しくはわからないが、

コントをやり続けることで、コントの枠が崩壊していったのではなかろうか。

重くなりすぎた星が、「重さ」そのものになり、周囲の全てを取り込んでいくように、

ザ・ギースのコントはコントという形を破壊し、その周辺さえも無尽蔵に取り込んでいく。

コントのブラックホール

かっこいいようで、ダサいネーミング。。。

そのダサさも、東京のコント師のオシャレさをあまり感じない彼らにはちょうどいいということで。いちおう旬なワードだし。。。

 

メタ認知的なネタ

ライブ冒頭の、ライブ開始前の楽屋のコント

厄払いのアドリブギャグコント

お笑い好きの女性をいじるコント

本気で練習した音楽のコント

 

コントをする人、コントを観る人、即興、練習の影。

どれも舞台上のその瞬間だけではない、別のリアルな時空を想定させる。

虚構と現実の間をつなぐ、隠れた現実。

これがあると、コントは人に響き、人を変えられる。

これが今回の学び。

 

そんななかでも、

コント師っぽい、秀逸な設定のコントや、

フリップネタっぽいコント、

キャラクターコントなども、素直におもしろい。

 

テレビというマス空間では、観る側の多様性がジャマをしてメタ認知の作用は弱いのかもしれない。

だから直球のコントで戦っているのだろう。

もちろんそれで結果が出ればいいが、画面越しに観ている人々に緊張を与えるようなテレビサイズメタ認知コントをつくれることが、彼らの最終形態なのではと、私は思うし、勝手に期待してしまう。